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19 霊 山

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中世に高い知名度を誇った戸隠をはじめ、熊野、白山、出羽三山などの様々な山岳信仰の影響を受ける様々な霊山が密集しています。

更新日:2022年6月7日

この地域ならではの特徴ってどんなこと?

● 古くから中央に知られた霊山

■戸隠

  • 平安末期に地方の霊山として、富士山と並び全国的に知られる。鎌倉時代には、高野山、比叡山に匹敵する一大霊場であったといわれる
  • 近隣の飯縄山との関係も深く、妙高山修験への影響も見られる。

● その他の霊山

  • 県境の苗場山巻機山なども、修験霊山として知られる存在である。

● 主要な信仰の影響

■熊野・金峯山信仰

  • 熊野と金峯山を結ぶ大峰連山は、平安中期に中央の修験道場に発展。
  • 平安末期ごろ北陸から西頸城地方へ伝播して妙高山に達し、さらに上越市板倉区から東部山麓を通り北上したと考えられている。

■白山信仰

  • 白山は、役小角とならび修験道の祖とされる泰澄が開山し、地方霊山としては最も早期に開発。日本海側に北上、一部が越後から信濃、関東に入り、一部が美濃から東海道沿いに進出。
  • 平安末期に能生白山社(糸魚川市)が造られ、この信仰が鎌倉末期ごろ妙高山に定着、その後戸隠山にも定着したとされる。
  • 能生白山権現を「竜の尾」、関山三社権現を「竜の胴」、戸隠を「竜の頭」とする九頭竜権現は、一連の白山信仰と考えられている。
  • 米山斑尾山にも白山信仰の伝播がうかがえる。

■羽黒・湯殿修験(出羽三山)

  • 出羽三山から江戸までの羽州・奥州道沿いのほか、越後・佐渡にも一定程度広まる。

■木喰行者などによる復興

  • 戦国時代の戦乱で山岳信仰が衰退する中、中部地方の霊山の特徴は、木喰行者により山岳宗教が復興し、霊山を広く民衆に開放したこととされる。その後の富士講、御嶽講といった庶民が霊山へ登拝する動きへもつながる。
    (木喰行者が作成した木喰仏は、全国に630体ある中で、柏崎市の83体が全国最多、中越や佐渡でも数が多いとされる)

■木曽御嶽講の普及

  • 御嶽講は、濃尾平野を中心に、関西や中山道沿いにも多いが、上越付近にも若干広まる。
  • 八海山(南魚沼市)も古来は大日如来や作神を祀り、修験道所として知られていたが、その後は御嶽講系統の霊山として栄える。
【信越県境付近の主な霊山の分布】

備考)信越県境付近にある市町村(破線で挟まれた地域)の霊山のみ掲載
出所)国土地理院数値地図、宮家準「修験道辞典」「霊山と日本人」、
地方史研究協議会編「信越国境の歴史像」をもとに作成