地域ならではの特徴
特徴の成り立ちと影響
地域資源の魅力と課題
その他の参考情報
出所)ながの「四季の彩」実行委員会パンフレット
長野県ではかなりの地域で蕎麦粉のおやきがある。主な地域は、信濃町、小川村、中条村、栄村、飯山市、南牧村、川上村、南相木村、美麻村、小谷村などだが、南信地方にも及んでいる。小川村では、今は小麦粉のおやきだがかつてはソバおやきが作られていたといわれている。
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善光寺平のおやきは、丸ナスなどの野菜と小豆あんで作った、ふかすタイプのものが多い。盆をはじめ、祭りや命日など主に人が集まる日に作られる。
魚沼地方の「あんぼ」は、「おやき」と比較して紹介されることが多い。この場合の端的な説明方法としては、「あんぼ」の皮は米粉で作られるのに対し、「おやき」の皮は小麦粉で作られるというものが多い。この結果として、「おやきとは異なる」という説明もあれば、「魚沼地方のおやき」という説明もある。 すなわち、正式な分類上は「おやき」ではないが、共通点が多いことから類似の食品として記載した。
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積雪量が少ない善光寺平(長野盆地)では、昔から米と麦の二毛作が行われていた。米は古くは年貢として納め、近代では現金収入の源であったため、小麦を使った主食を日常的に食べる独特の食文化が発達したとされる。 一方、豪雪地帯では小麦が作れなかったため、例えば、信濃町辺りではそば粉によるおやき、栄村では米の粉を使った「あんぼ」、小谷村も以前はそば粉や未熟米を使っていたといわれている。
◀特徴の成り立ちと影響へ
– 米の節約 – 長野県では、昭和初期の農家の主な現金収入は、年1回の米代金と年数回の繭代金であった。このため、ほとんどの農家は少なくとも1日に1回は粉食としており、中でもおやきは、家の周辺にある材料で手軽にでき、栄養価も高く好まれたといわれている。 – ふかしと焼き – かつて養蚕、麻栽培が盛んだった上水内郡西山地方などの山手では、囲炉裏で焼く“へえくべおやき”、稲作地帯の善光寺平では、竈で蒸かす“蒸しおやき”が主流であり、その違いは日ごろ用いた家庭燃料の違いからきているといわれている。水稲作が中心の盆地ではかまどで調理が行われ、蒸篭で蒸かしていた。 – 冠婚葬祭 – 北信地方では、今でも冠婚葬祭のたびにおやきが登場する家庭が多く、人生の節目に欠かせない役割を担っている。また、田植えや稲刈りの農作業を人に頼んだり、職人さんが家や庭の手入れをする際におやきを用意する習慣があり、お茶うけの振る舞い食としても健在であるとされる。
家庭食であったおやきが商品として公に作られ始めたのは、おやきが日常の食卓から遠のいていく昭和30,40年代の高度経済成長期であり、北信の商業圏にある一部の和菓子屋がおやきを作り始める。 昭和50年代にはおやきの専門店も出現。昭和58年には長野県味の文化財として認定。昭和61年には一般を対象にした「おやき作りコンテスト」が開催される。 昭和60年代からは、農家の女性たちによる生活改善グループが、地域活性化事業としてのおやきをはじめとする特産品開発に乗り出していく。 平成3年の善光寺御開帳と冬季オリンピック招致決定以降、全県的に新規参入するおやき店が増加する。 しかし、平成10年以降、地元消費者の高齢化などから、おやきの消費は落ち込み。販売店の大規模化と小規模化の二極化も進む。 平成20年、長野商工会議所による信州おやきブランド化委員会、平成21年には信州おやき協議会を設立、信州おやき憲章の作成のほか、おやき事業者同士での勉強会やネットワークづくりが行われている。
長野県「味の文化財」は、信州文化のひとつである食文化の滅亡を危惧した市川健夫氏の提唱により検討され、県教育委員会が1983(昭和58)年7月に正式の指定を行ったもの。
– あんぼ – 昔のあんぼは、くず米を使用していたが、土産品として加工する場合は、コシヒカリを使用するようになった。 例えば、十日町市(旧松代町)の芝峠特産加工組合では、1994年から大根菜漬け、小豆あん、ピーナッツ味噌を具にした「コシヒカリあんぼ」を製造販売している。
※ 特に参考とした文献には●を付しました。